こんにちは、あきえです。今回はシェア畑の野菜作りを通じて思い出した、私のスローライフに影響を受けた2人の人物についてご紹介します。
1人は、占星術師のマドマゼル・アイ先生、もう1人はウルグアイのホセ・ムヒカ大統領です。
私のシェア畑体験レビューです。
畑を始めたことで、以前より感じてた自給自足的な考え方をより身近に感じる事ができました。

示唆に富んだ内容が多いよ
マドマーゼル・アイ先生の紹介
マドマーゼル・アイ先生は、日本で有名な占星術師です。
近年ユーチューバーとして活動されてるので、マドマゼルといいつつ、男性であることが認知されてきた大御所の先生です。
ちなみに、ニックネームには、自分の足りない部分を補う意味もあります。先生が「マドマゼル」という女性的なニックネームを付けた由来でもあるそうです。
そんなこんなで、マドマゼル愛先生は占星術を通じて多くの人々に助言を与え、その人生を豊かにする手助けをしてきました。私もアドバイスに何度も救われた経験があります。
一番印象に残った話
マドマーゼル・アイ先生の話の中で一番印象に残っているのは、この回です。
私的に響いた部分を要約すると以下です。
今の日本の経済では、土地の価格が安い田舎ほど自然が多く、命に直結するものが揃っている。
作物が育つ肥沃な土地、漁業ができるきれいな水、澄んだ空気などが田舎にはあり、投げ売りされてる。
お金を払って移住を歓迎する場所も多い。これらは命に直結するものである。
一方で、アイ先生はこうも言いました。(以下だいたい意訳です)
日本の一番地価の高い場所、例えば銀座の四丁目では、入れ替わり立ち替わりでテナントが入っては潰れてる。
そこでは命と一番縁遠い商品が売られている。
この対比が、私にはとても印象的でした。
私たちが物を売るためには付加価値をつけ、高い場所で売るのが一般的な考え方です。しかし、自分が生きるだけであれば、必要なものはもう田舎にそろってる、大金は必要ない、必ずしも都会にいる必要はないのかもしれないと感じました。

通勤つらいぉ~
痴漢冤罪こわいぉ~
(*痴漢が一番多いのは、センター試験の日らしいです。逃げられない時を狙うんだってね。勉強ができても都会で学歴を身に着けるのは一苦労ですね・・・)
シェア畑での気付き
シェア畑での経験を通じて、私はたった一つの種や苗からでも多くの作物が育つことを経験しています。
マドマゼル愛先生のいうように、土地が揃っていれば、再生可能な資源として作物を育て続けることができるのです。
今年収穫した種を来年また植えることで、連作できるかどうかの問題はありますが、条件が揃えば多くのものを生産できることを実感しました。
野菜だけかもしれないですが、生存に必要なものもが自分で作れるということは、生きてくための安心材料にもなる気がします。

最終的にはコメ作りたいんだよなぁ~

近年、日本では都会から田舎へと、ライフスタイル全般を見直す人が増えてる気もするよね。
ホセ・ムヒカ大統領の紹介
「貧しい人とは、少ししか持っていない人ではなく、無限に欲しがる人のことだ。」
ホセ・ムヒカ大統領は「世界で一番貧しい大統領」として日本でも広く知られているウルグアイの大統領です。
大統領という高い地位にありながら、国から支給された豪邸に住むことなく、自ら綿や花の栽培をして生活をしているのです。
彼はずっと国産車に乗り続け、半日は農作業、半日は大統領としての職務をこなしているそうです。私は彼のライフスタイルに強く好感を持ちました。
国民と似た生活をしたり、恨みを買わなければ、警備費とか不要なんだろうなと思いました。
ムヒカ大統領の珠玉の名言集
「貧しい人とは、少ししか持っていない人ではなく、無限に欲しがる人のことだ。」
「フリーダムとは、自分が好きなことをするための時間を持つことだ。」
「もしあなたがたくさんの所有物を持たなければ、それらを維持するために一生働く必要はない。」
これらの言葉は、私たちが本当に大切にすべきものを再確認させてくれます (Wikipedia)。
真の豊かさを追求する上で重要なメッセージを含んでいます。物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさ、自然との共生、そして地域とのつながりを大切にすることが、真の幸せに繋がるのだと感じます。
ムヒカ大統領の話を聞いて思い出したこと
普通が一番お金がかかる、見栄で進学するも奨学金に進路を縛られた大学時代
ここでは、私がホセムヒカ大統領の話を聞いて、自分の中で思い出すエピソードを紹介したいと思います。
私は小・中学時代に入院を繰り返しましたが、このままじゃダメだと思い、一念発起して高校時代には全日制の高校に通いました。
当時は、実家が経済的に厳しかったので、奨学金を借りて全日制の普通高校へ通学しました。久々の全日制に心を躍らせ通学し、勉強と部活を両立しました。成績がよかったので、そのままの流れで公立大学に合格し進学しました。
当時は体力の回復もあり、「普通」に戻れる喜びがありました。
しかし、それが本当に自分にとっての幸せだったのかは今でも疑問に思います。
なぜなら、高校から数百万の奨学金を借りてしまったからです。奨学金は借金です。特に学生であれば、成績が落ちたら返済の額が増えてしまいます。
実際に私も一時的に修学旅行の費用が足りなくてバイトをしたときは成績が落ちてしまい、次の審査時には返済額が増えてしまいました。
修学旅行は費用が足りないので行けないと学校に申し出ましたが、学校側は、みんな行くので、何とか工面ができないか、等々で、「特別」にアルバイトの許可を出してくれました。
何とかアルバイトをして旅費を工面しましたが、さすがに成績は落ちました。

普通の高校ってお金かかるね

学校側は「貧乏だけど頭がいいから」って、あれこれと上に行くためのチャンスを増やしたり、優遇してくれてるはずなんだけど・・・なんか基本ぜんぶお金が過剰にかかるというか。
分不相応だったなと思います・・・
高校の進学当時、一時的な同級生との比較で「自分は頭がいい!!」と有頂天になってしまい、学歴など将来の自分に必要か疑問も持たず、大学も引き続き奨学金を頼りに行ってしまいました。
就職氷河期に文系選考で大学に進学し、就職・進路を考える中、奨学金という足かせがあったので、とりあえず早く返さないといけません。
結果的に「○○の仕事についたら、奨学金を肩代わりしてもらえる」という条件で公務員にならざるをえませんでした。
自分で考える余裕もなく、向き不向きを考える余裕もなく、その仕事を目指さないと経済的に成り立たない状況になってしまったのです。
果たして「普通に」学校に行くのがよかったのか、はたまた、「いい成績」という誘惑に踊らされて大学進学をしてしまったのが間違いだったのか・・・
「優秀な成績でないと奨学金は取れない」「学校で1人だけ・・・」などのうたい文句に承認欲求が負けてしまい踊らされてました。
私は、ホセムヒカ大統領の演説で、見栄を張った過去の無意味さを痛感しました。奨学金という借金を背負ってまで得た学歴や職位は、実際には私自身の本当の幸せや満足感とは無関係でした。
自分の幸せや満足感は、他人の評価や見栄ではなく、自分自身の内面にあると、若い時に気づきたかったなと思います。他人に見せるための人生ではなく、自分のための人生を大切にしていきたいです。
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