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プライベート記事 

お金・力を持つ人ほど気をつけたい(母もDaiGoみたいに、半盲の父を馬鹿にしてたよ)

プライベート記事 
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DaiGoさんの有料会員でした(ニコニコ時代)

 

DaiGoさん、炎上されてますが、私はすごく好きだったんです。

ニコニコ時代の半年くらい有料会員だった事もあります。

一歩づつの努力を説いてたり、参考にできる部分がたくさんありました。

有料会員向けの内容が思ったのと違い辞めちゃいましたが・・・

普段から、「金もってるから偉い=金もってるから女を選べるぜ!」みたいな話を、小出しネタで出してたんですよね。

 

税金は一旦おいておき、

有料会員の内容に、恋愛テク、モテ話、女を金で落とす話が思ったより多くて、あんま求めてないかったんで辞めました。まぁ、DaiGoも若いなぁくらいで(笑)

 

母の「お金=偉い」という価値観で苦しかった

 

DaiGoさんの話はさておき、私の母も似たような人でした。

 

半盲の父、いわば社会的弱者を、「税金の無駄」「甘え」「稼げない」と罵る人でした。

以下、何の有益でもない私のトラウマ的な金と命の話です

 

私の母は、かなり賢い方でした。

反対に離婚した父は、経済的な弱者でした。

 

特に父は生まれつき目が弱く、勉強もできずです。

というとめっちゃ暗い性格に聞こえますが、びっくりするくらい楽天的な人でした。

 

目が悪いからか、料理人になって、住み込みで働いてました。

エリート社会人が暮らす寮の管理人をする事が多かったそうです。

生協の人として、学校の給食を転々とする事も多く、寮暮らしのエリート男性と、以前の職場で出会った学校の女の子の合コンを開催するのが生きがいだったようです。

 

「○○さんの嫁は俺が見つけた(゚∀゚)v」

「○○先生は若い頃、○○学校の女の子を気にいってた(゚∀゚)v」

 

そんなことばかりで、土日はどこの飲み屋がいいか、誰を呼ぶか、合コン会場のセッティングと、出会った人らの恋愛の話や、仲人に出かけるのが趣味の人でした。

 

今でいうシェアハウスの管理人みたいな仕事を楽しくやってる方でした。

家賃ゼロ、食費ゼロ、収入の2/3以上が余裕で貯金できる生活スタイルです。

 

エリートの母と結婚した後、わたしたち子供が生まれた後も、似たような仕事形態をとっていたので、私も寮で住み込みの両親のもとで育ちました。

 

反対に、母は努力と根性のエリートでした。

田舎暮らし、地域のトップ校、理解がない中での女子の進学、奨学金、国立大、フランス語と英語で教員免許をとり、塾講師になった人でした。

絵にかいたような賢い女性のエリート苦労人です。

父と結婚して退職した後、わたしたち子供を育てながら、寮母の仕事をしました。

 

簡単な掃除だけで、あとは何もやらなくても、夫婦共働きの形で、私達を保育園に入れる事ができました。

わたしも妹も、それなりに楽しい日々でした。わたしと妹が3歳違いですが、私が9歳の頃、だいぶ年が離れた弟も生まれて普通に楽しい集団生活でした。

 

 

父の悪口ばかりを聞いた幼少期 

 

母がある日に、1歳くらいの弟を連れて出て行き離婚しちゃいました。

 

理由は「父が稼げないから」

 

エリート気質で、自分が活躍したいタイプの母には、下支えのような寮母の仕事は窮屈で耐えられなかったようです。

 

「お父さんは稼ぎがない」

「お父さんは目が見えない事で、甘えてる」

「社会のお荷物」

 

もともと、父の悪口は聞いてましたが、離婚が決まり、ストッパーが外れたのか、そんなことをよく口走るようになりました。

 

離婚後の母は、今でいう意識高いキラキラ起業家のようでした。

 

「営業職でバリバリやれば50万稼げる」

「家が持てる」

「子供にいい暮らしがさせられる」

 

わたしたち3人は、兄弟バラバラで育つより女も多いし、ということで全員母に引き取られる事になりました。

わたしたちも、少し気をつかっていた寮暮らしから、自分達の生活ができると喜び母についてきましたが、現実の生活は、かけ離れたものでした。

 

そもそも母に仕事が見つかりません。

シングルマザー、3人の子持ち、一番下は未就学、会社勤めといっても、塾だけの「先生」勤めの母が、いくら学歴とやる気を自慢したところで受け入れてくれる会社はありませんでした。

 

仮にあっても給料が安かったり、嫌がった寮暮らしの仕事などでした。

結局、基本給9万+コミッションの保険の営業職、夜は副業で塾講師というハードな生活を始めました。

 

仕事のストレス、生活のストレス、まだ小さい弟妹へのストレス等々、あったのでしょう。

前々から、私への態度が少しきつかった母ですが、父がいなくなり本格的にサンドバック的な扱いをうけるようになりました。

 

「お前ができたから結婚せざるをえなくなった」

「窮屈な10年を返せ」

 

暴言をひたすら浴びました。

わたしは、母からの暴言と生活不安から、本格的に精神を病み、遠方の精神病院に隔離され、そこで2年ほど過ごしました。

小学5年生から6年生の時のことです。

 

プライドが邪魔して素直になれない母

 

正直、母はダブルワークして無理に稼がなくても、生活はできました。

市営住宅、母子手当、そして何より父からの仕送りが10万ありました。

巷の母子家庭が聞いたら相当恵まれてる条件です。

しかし、母は今まで馬鹿にした手間、社会、福祉、父の仕送りに頼りたくないという気持ちが透けて見えました。

母の「負けた」という惨めさや、悔しさは、私への暴言に現れてきました。

私が特に何も言ってなくても、

「どうせ、私の事を馬鹿にしてるんだろうお前も!」

「何の生産性もない専業主婦の母親がいいんだろ!」

暴言はどんどん過激になりました。

「惨めで悔しいという」気持ちを私にぶつけてきました。

 

父の仕送りの行方

 

遠方の病院で1人で過ごしていた頃、私は割と落ち着いてました。

しかし、月に1・2回、母が面会に来ると、その後は荒れてたとの事でした。

 

月に1回、父が来る時、先生方は、「父の方で引き取れないか」「父方の祖父母がいないか」、そんな話をよく持ちかけてました。

 

結局、「女の子が多いから母親の方で育つほうがいい」という信仰もあり、父は弟が20歳になるまで、約20年くらい10万づつ送ってくれました。

しかし、それらが私達に使われる事がありませんでした。

わたしたちに届かず、営業グッヅ(靴・カバン)、母が見栄を張りたい時の生徒さんらへの交際費などに消えてました。

後々、それを頭金に母は小さい戸建てを現金一括で買いました。

 

それでも、私たちはいつも、「お金がない」と聞き窮屈な生活を送りました。

 

中学生の私の金銭感覚 「こんなことまでして生きたくない」

 

わたしが家族から隔離して入院したのは、小学5年~6年の頃です。

そして小学6年の終わり、母の仕事や生活が少し落ち着いた頃に、家に戻りました。

 

しかし決して歓迎される立場ではありませんでした。

 

「私達が大変だった時に、何の協力もしないで」

「自分1人だけ病気を口実に逃げて」

「お客さん気分で帰ってこないでよ・・・」

 

私は退院明け、心身を体調を整え、新しい学校、生活に馴染もうとしましたが、結局数か月で学校へ行けず、ダメになり、引きこもりに戻りました。

 

学校へ行けなくなったころ、「待ってました!」とばかりに、母の小手先として労働力になりました。

家事、掃除などもちろんです。1万で家族4人分を作ったりしました。

作れない時もあるので、中学の保健室に、タッパー持参で行き、こっそりと残り物をもらって帰りました。

「どうでこの子は、不登校だから」

「自主学習させてます」

「社会見学に手伝わせてくだい」

 

綺麗な名目で、母の取引先の家、契約をとりたい家の、特に汚い家の掃除、ゴミ掃除や、片付けの手伝い要員になりました。

 

「こんなつらい事して、でもお母さんの手伝いしないと契約が取れないから」

「ここで手伝わないと生活できないから・・・」

 

親のお金で安心して暮らせる回りの中学生が心底羨ましかったです。

もう・・・さすがに病院に戻りたかったです。

小綺麗な制服を着て、安心して暮らせて、学校にいって、たくさん食べて、勉強して、それを周りから応援される。

 

0点なら「教育費の無駄」と怒られ、

100点だと「いいご身分で」と怒られる私とは雲泥の差です。

 

自分の立場が惨めになり、生きてる価値を感じられなくなったので、私は拒食症に拍車がかかりました。

衰弱して動けなくなり、病院になんとか連絡し、そこでまた入院が決まりました。

栄養点滴等をしばらく受けました。

 

私がどんな状態になっても相変らず母は、地域を飛び回り営業をし、夜は塾講師として、生徒に熱心に付き合ってました。

2回目の入院が決まり、私はまた、

「どれだけ家族に迷惑かけたら気が済むのか」

「あんたの事で、どれだけ妹と弟が我慢してると思ってるの?」と怒られました。

 

あぁ、お父さんと暮らしてた時はこんな辛くなかったのに、

 

お金を稼ぐのは大変だ・・・

仕事は大変だ・・・

 

生きるのは大変だ・・・もうやだ死にたい、こんなことまでして生きたくない・・・

 

漫画でネタにできるような軽いレベルでなく、心身に染みました。

 

わたしの健康とか、生活より、塾通いできるくらい金持ちの子の10点アップの方が大事なんだ、弟の保育園の道具の何かの持ち物の方が大事なんだと身をもって知りました。

2回の入院と、母からの暴言、仕事の手伝いで、そんなトラウマが、どこか残った気がします。

 

 

サイコパス度が高い人が稼げる

 

DaiGoさんも、たびたびおっしゃってますが、サイコパシーが高いほうが稼げると。

母をみてるとそうだと思います。

 

目の前で、子供が衰弱しても資格の勉強ができ、ごみ屋敷に放り込んででも契約を取り、未就学児を車で数時間待機させてでも営業を回り、どんな方法をとってでも契約を取り、社会的地位をあげました。

私の入院中に、看護師さんや先生が、私の件で電話をかけると、必ず母は怒ります。

 

「仕事の邪魔なので、かけてこないでください!」

「何のために預けてると思ってるんですか!そっちでやってください!」 

 

ごめんなさいとか、子供の病気が気がかりとか一切ないんです。

誰かに迷惑をかけてるという事より利益、多分、子供を持っちゃいけない人なんだと思います。

 

「手続きでも何でも、事務手続きを、早く自分で何でもできるようになりたい。」

1回目の入院から、そう感じてました。

 

 

母を通じて、お金の負の面ばかりを体験した

 

運よく、母の仕事がうまく行ったので、弟妹は私ほど酷い心身不良はなかったそうです。

 

弟にいたっては溺愛されてます。

わたしが搾取・サンドバック系だとしたら、妹は同士系、弟は愛玩系です。

特に弟は、部活のバッグでプーマかどっかのブランド物を買ってもらえたり、私立の大学に行って仕送りを10万送って貰ったりと、母1人の稼ぎで、いい生活(夫婦2馬力レベル)を送れるようになったとのことです。

わたしも3度目の入院になることはなく、その後しばらくして、身長体重など伸び始め、心身ともに再起できました。

 

わたしが失った5年間 止まる身長体重・視力半減・解離

 

私は、精神に異常をきた4年生の頃から、身長体重が止まったまま5年くらい過ごしてました。

入院中は、生活が保障されてましたが、心から安心して過ごした時間がありませんでした。

身長が、ふたたび伸び始めたり、生理が来たのはずいぶん先になります。

 

あのころ、視力が精神的なショックで半減したのですが、それだけは後から回復できず、そのまま近視として過ごしました。

少しでも母の機嫌にそぐわない事があると罵倒されます。精神疾患に苦しんでた時は以下のような言葉を浴び焦られました。

 

「あんたみたいなのが、税金のお世話になるんだろうね」

「あんたみたいなのが、こうゆう殺人するんだろうね」

 

幻聴などにただ苦しんでるだけで、思っても、考えてもない事を言われました。

こんなことを刷り込まれて育ったので、本能で拒絶して、発狂もしたのでしょう。

「誰でもいいから殺したい」なぜか湧き上がってくる苦しい気持ちを20代まで抑え込んで、解離を体験するくらい苦しみました。

 

人の器・お金の器・身の丈を知る事

 

わたしには父の生き方は、身の丈にあった生き方だと思います。大人になって、賢いとたびたび思うようになりました。

目が悪くても、生存戦略として、住み込みとか、料理人とか、非常に賢いと思います。

 

反対に母は、自分の器以上に求めた人だと思います。

ずっと、何かを欲しがって、上を目指して、苦しいけど這い上がって、手に入れた。成功を絵にしたような生き方だなと思います。

現実、成功して出世してるので、目指す人も多いと思います。今も敏腕プレイヤーとして「10年で○○」「シングルマザーでも子供3人大卒で」等々、よく目にするキャッチフレーズあるあるで、企業の広告塔をやってます。

それでも、自分の器以上の物を受け入れるのは、とても苦しそうでした。

 

税金で弱者を助けてるか?

 

これ言われると申し訳ないですね・・・

あぁ、生きててごめんなさい。

DaiGo様、高額納税者様、お金様・・・

目の前で大層な土下座でもすれば、この人達は満足するのでしょうか。


何をしたら、この人たちは、満足するんでしょうかね・・・


・・・稼いだら満足なんじゃないですか?!


もちろん、税金で賄われてる病院、保護施設、お金ない未成年だけど保護してくれたり、税金で賄われる部分も多いけど、それだけじゃないんですよね。

 

半分ボランティアの人に補導されたり、命の電話だったり、金銭的な数字だけではない人にもたくさん支えられてきました。


DaiGoさんや母みたいな人が、

「こいつらの命、無駄」とか思われてたり。

それが根底にあるのが透けて見えちゃいましたね・・・

 

日本って、きっと生き辛いなぁって感じます。

まぁ、それを直接、身近な人に言われてるか、赤の他人にワーワー言われるかは別ですけどね(苦笑)

最低限に生きるだけなら、それこそ社会主義の国に行きたいですわ。

お金の器、どうゆうことをして得るか、得た後どう使うか、もし大金を得た場合に慢心にならずに過ごすか、大金を得られなくても腐らず過ごすか、改めて考えるいい機会になりました。

コメント

  1. […] DaiGo炎上 私の母もそんな人 被虐待児の子供時代 https://fuwari.space/mind/ […]

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