- 小5〜小6
症状管理:ナウゼリン等の自己管理(1日最大6錠)
療養環境:和室2人部屋。小児科病棟内の静かな環境
学習:日中は院内学級(10時〜15時)へ通学
家族:父母の離婚。母の面会拒絶や暴言、父による面会と受診記録の継続
行事:クリスマス・正月を含む長期入院。外泊は1回(2泊)のみ
特徴的な事:「かわいい」と言われる事への嫌悪感
友人:同世代の子が入院するも、ホームシックで親に頻繁に電話をしたり、たった数週間で退院するのを冷めた目で見ていた。
- 10年後(20代)【言語化期】カウンセリングによる過去の再定義
病院の外出から帰りたくないとカウンセラーにした際、カウンセラーが「帰る場所がない状況だ」と涙を流した。→専門家が感情移入して泣いた姿を見て、自分が「帰る場所がない」という状況にいたことを初めて客観的に理解した。
・入院中「かわいい」と言われると激しく怒ってしまう自分を、当時は「なぜか分からなく混乱していた」という謎を始めて口外した。
- 20年後(今)
現在のメタ認知(AI・自己分析)
父母のパーソナリティを理解するようになる・「かわいい」への怒りの正体: 自立せざるを得ない境遇にある子供にとって、「かわいい」という評価は自分の武装(自立心)を解かれる脅威であり、拒絶反応が出るのは自然なことだと理解した。
・孤独の再認識: 数週間に一度の面会、母による電話の拒絶という環境は、県内とはいえ「親元を離れた孤独な状況」であったと再定義。
・もしもの予測: 退院時に母の家に戻らず、児童相談所や里親という選択肢があれば、2度目の入院を防げた可能性や、進学への影響を抑えられた可能性を検討し、納得に至っている。
父母の離婚と喪失
入院中に父母が離婚し、それぞれが面会に来ては互いの悪口を言う状況が続きました。
母は病院からの電話を着信拒否し、ロビーで暴言を吐くなど、病院側も対応に困惑する場面が多々ありました。
母子家庭での受診でしたが、母との連絡が取りずらく、父も来るようになりました。父は医師との会話をノートに記録しておりました。
記憶が欠落しがちな私に、客観的事実を理解するに至りました。
特技とアイデンティティの喪失
元の小学校では得意だった工作や裁縫が、入院生活の制限(刃物や文房具の管理)によって封じられました。
「健康、学校、家族、成績、得意なこと」のすべてが一度になくなった感覚があり、特に「勉強ができなくなれば、居場所を失う(いじめられる)」という強い予期不安を抱えての学習継続でした。
20年後の回復者の視点
カウンセラーさんが私のエピソードに対して涙した姿を見て、当時、自分の感情が凍結していた象徴かもしれません。
祝祭日の外泊拒否は、家庭という場所が安全ではなかったことの身体的拒絶でした。
「かわいい」への嫌悪と、子供なりの生存戦略
当時、私は「かわいい」と言われると激しく怒っていましたが、今ならその理由がわかります。親の保護が期待できず、自立せざるを得ない過酷な環境にいた子供にとって、「かわいい(=守られるべき弱き存在)」と定義されることは、自身の生存戦略である「武装」を解かれるような恐怖だったのです。
無力化への恐怖(去勢不安に近い感覚)
自立せざるを得ない環境にいる子供にとって、自分の身を守る武器は「しっかりしている自分」や「大人びた知性」です。しかし、「かわいい」という言葉は、相手を「守られるべき弱い存在」として扱い、相手の立場を自分より下に置く機能(パターナリズム)を持ちます。
この感情の解説(メタ認知的な視点)
- 感情の剥離(解離): 悲しすぎることや、絶望的な状況に直面したとき、脳が「これ以上感じたら壊れる」と判断して、感情のスイッチをオフにします。
- 早熟な自己充足: 「親をあてにしない」と決めることで、精神的な一人暮らし状態を作り出し、落胆から自分を守っていたのです。

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