こんにちは。今回は発信者の方や、当事者活動をしている方が読んだら、申し訳ない記事ですが、事実ですが書かせてもらいます。
精神状態が悪い時に、人の声は圧や境界線が侵食されるようで、気持ち悪く、内容云々でなく受け付けなかったのでその理由を説明します。
精神状態が悪い時に、距離が近くて人の声が受け付けない
精神状態が悪いとき、私は人の声が無理でした。
自分の状態を改善したい時、ふと目にしたブログなどで、勉強になるから、理解が進むからと紹介されていても、サムネイルで誰かがしゃべってると萎えて基本的に全部スルーしてた。
声って、物理的に近いんですよね…
イヤホンをすれば、相手は耳のすぐ横にいるみたいになる。抑揚、息づかい、間などが、全部流れてダイレクトに来ます。
しかも自分のペースで読めないので、止めない限り、流れ続ける。
昨今の動画は、ブランディングで顔出しをして話してる人も多く、中には承認欲求が垣間見える人などいて、おさら圧がきついんです。
○○しろ、○○はダメだ、イイねをおせ、コメントしろ、チャンネル登録しろ・・・!
も~~~~すべてが嫌!!(懇願涙)
ほっといて!!!(懇願涙)
という感じです。なら見るなよ、という感じですが、顔出しや動画という時点で私は必要な情報でも受付不可という感じでした。
救いが欲しい 内容や結論を知りたいだけ
その人達が嫌いではないです、ただ、内容を知りたい、でも話している“人”を感じたくないんです。
熱量、人柄、声の抑揚、存在、自己主張はいらない。
でも声は、情報と一緒に“人”を運んでくる。
それが、とても重くて、文字でなく心理学者や精神科医がユーチューブを始めるムーブメントや、動画の流行、救いのためには自分でも宣伝的なものや相手の承認欲求を満たして受け入れないといけない現代のメディアごと憎憎しく思っていました。
文字は自分に主導権があり、逃げ道になる
声や動画は相手の主導ですが、文字は自分主導です。
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自分のペースで読める
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飛ばせる
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止められる
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閉じれば消える
精神状態が悪いとき、自分に撤退できる主導権があることは心的安全に直結します。それが大きいと思います。
氷河期世代の私のアウェイ感と、受け入れられた電子音
思えば、私はもともと流行の音楽など、さほど馴染んでいません。
機能不全家庭と貧困で、通学をしていなければ、歌謡曲も同世代ほど聞いたり慣れ親しんだこともないのだと思います。
説教臭い歌詞、恋愛的な歌詞、イマイチ分からないなぁ、何か役に立つの?という感じです。
私は就職氷河期世代と言われており、漫画アニメゲームが面白かったり、日本のJpopが流行った時代です。しかし、文化的な背景を共有できる事は少なかったと思います。街中で耳にする、TVで見る、友人知人が好きなようだ、などですが、その中でのアウェイ感がありました。
電子音の登場で、初めて「好きな音楽」を言えるようになった
2000年代に入り初音ミクに代表されるような音楽が流行った時には、はじめて文化共有ができた気がします。
実際には曲を聴く文化がないため、有名曲をすこしかじる程度でしたが、既存の人の声の歌謡曲より、すんなり音楽を楽しめました。
私の好きな音楽を「ボカロ」と言えることに喜びを感じました。
そのために、電子音で読み上げてくれる心理系YouTubeは見れました。あぁ、これなら、内容を吟味できると。
人の圧がない。感情が押し寄せてこない。
なんて安心な世界なんだ・・・
わたしが特段、冷たいのではないはず。虐待サバイバーあるある?
私は冷たいわけでも、共感力がないわけでもないです。おそらくですが(苦笑)少数派かもしれないですが。
ただ、距離が欲しいのです。精神状態が悪いとき、声は近すぎました。
ほら、映画なども、音は大きく画面もチカチカして高刺激です。精神状態が悪い時に、障碍者手帳で1000円で見れるといわれても、見ないようなもので見当外れもいいところです。
あんまり見れないですよ・・・それと同類のものだと思います。 文字は逃げ道をくれる。それだけです。
精神状態が悪かった時期に私が求めていたこと
内側の治療的な、内的なマイナスを±ゼロに持っていくような情報
オリジナルな哲学、祈り、ただの存在肯定のような・・・
うまく整理ができないのですが、昨今の心理学心系は、「ある程度健康的な人を対象」に、かつ情報を聞いて行動を促すような、成功心理学的な側面があるように思えます。
分かりやすい外側の成功などに直結する情報も多い気がしました。
そういった外側の評価をいったんわきに置き、見えないところで、マイナス10をマイナス5くらいにあげるために必要な事など、もっと内的や現実に根付いたというか・・・
それは映えないし、地味だと思います。お金も生まないかもしれない。でも自分が求めていたのは、そういったオリジナルの哲学や救いだったのかもしれません。
まとめ 距離を選べ情報を受け取る事
通常で考えれば、昨今はYouTubeなどを通じて、いくらでも情報にアクセスできる時代です。
心理学の知識も、当事者活動の情報も、探せばすぐ見つかる。
それでも私は、長い間そこに結びつきませんでした。
なぜか。
それは情報が足りなかったからではなく、
神経がその形式を受け付けなかったからです。
共感や表現を前提とする世界が、時に重いこともあります。
今は少しだけ、人の声も聞けるようになりました。
必要な情報を、人の圧をあまり気にせず受け取れる瞬間もあります。
でも今も、文字がいちばん落ち着きます。
距離を自分で選べること。それが、私にとっての回復のひとつなのかもしれません。

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