摂食障害はどうやって治るのでしょうか。
治療でしょうか?
カウンセリングでしょうか?
それとも、家族の支えでしょうか?私の場合、それらとは系統の違うものでした。
回復の分岐点になったのは「諦めること」です。
頑張ることでも、だれかの救いの手でもなく、自分の欲求を諦めること。
私の回復にはいくつかの「諦めた瞬間」がありました。
この記事では、その分岐点を20年後の視点から整理してみたいと思います。
- 13歳
小6/中1【一番ひどい時】・太る事が恐怖になる
・体重に関しての執着がひどい
・家庭の役割から、自分で家族分の食事を作ることになるため、孤食+自分の分の食事への執着(油・食材)が加速する・どう見ても痩せているのに自分が太って見える
・痩せる事=病気=家族が優しくしてくれるのではないか?という欲望が芽生えアイデンティティになる。
- 14歳【諦める】入院中に過食に転じる
・ある日、過食に転じ普通の入院食を完食する。→ 心身ともに苦しかったが、看護師や、家族が完食=回復を喜んだため、自分の葛藤は理解が難しいのだと実感した。
・親に理解されることを諦めざるをえなかった。
- 15歳~【諦める】中学+全日制の高校で普通を過ごす
・体重が増え、重い気持ちで退院し、母子家庭と学校へ戻らざるを得なかった。
・成績がオール1に近かったが、徐々に上げていくことで、貧乏+優秀というラベルで見らえる事が増え、身体より勉学を気にする事が増えた。
→【優等生になる事で評価軸が変わった】
・高校入学以降、貧乏x優等生のレッテルで生きるようになる。→ 窮屈だが、同世代の普通の範疇でいられるようになる。
→不登校+貧乏+摂食障害+困った生徒という、訳ありラベルで特別視されるよりマシであった。
- 22歳~【避ける】就職で徹底的に要因を避ける
業界やキーワードなどで、地雷・嫌いを避ける選択重視
避けたもの
公共の乗り物(嘔吐恐怖)、教育・医療関連、食べ物関係など。
元情報:大学時代にできるだけいろんなところで短期アルバイトをし、何が気楽でつづけられそうか、どんな感じか社会見学のつもりで潜り込み色々やる。
- 35歳~【後遺症】 健康 >美容 必要に応じて太る
・働こうにも、後遺症で精神状態が悪い時に体力不足を感じる。・断薬を試みるが、体力不足で断念、体力をつけるために太るなど、痩せていることより、健康な生活を送れることを優先する。
・価値観の変化が、社会的な価値が「痩せてること」に置きすぎてるようなのでその文脈に乗らない生活、SNS断ち、メディア断ちなど。
なぜ「諦める」が回復の分岐点になるのか
摂食障害やトラウマの回復では、多くの場合
- こうなってほしかった
- 誰かに助けてほしかった
- 普通の家庭で育ちたかった
- 病院が守ってくれるはずだった
という 「まだ起きていない救済」を期待し続ける状態があります。
でもある時、
それは起きないかもしれない
と理解する瞬間が来ます。
この現実を見るのは辛いですが、ここから現状に基づいた人生を組み立て始めます。
落ちたポジションを受け入れる怖さ
私の分岐点 3事例 落ちたポジションを受け入れる怖さ
ここからは、私の具体例を3つ紹介します。
【諦める】病気以前の成績・ポジションの学生を諦める
入院から戻り、中学3年で学校へ復帰しました。
そこで受け取った成績は、ほぼオール1でした。
発病前の小学生の時、勉強が少しできる側だったので、その落差は大きく、自己効力感を下げるものでした。
入院中から、勉強ができないといじめられるのではないかという恐怖もありました。勇気をもって通学を再開するもオール1、さらに困ったのは、今後「入院していたから仕方ない」という言い訳も使えない事でした。
結果だけが残り、すべて自己責任を受け入れないといけない状況です。
そこで私は、発病前の自分に戻ることを諦めました。
以前の成績や立場を取り戻そうとするのではなく、今の状態で出来ることをするしかありませんでした。
オール1から、オール2,オール2からオール2.5まで順にあげる結果になりました。
また中学3年の内容が分からないので、2年の授業を受けられないか交渉もしました。
自分に足りない事を自覚したため、当時できることをしました。孤立無援でしたが、振り返ると、よくやったと思います。
落ちたポジションを受け入れることは、心理的には簡単ではありませんでした。でもその経験が、その後の人生を支える力になった気がします。
【避ける】エネルギー消費の多い選択を避ける 就職では自分を生かせず
大学を卒業する頃になると、社会に出る問題が出てきます。
一般的には
- 就職する
- 社会に適応する
- 頑張って働く
という流れになります。 私はそこで別の選択をしました。
壊れる環境には近づかない
無理をして適応するより、避けることを選ぶ。
当時は、やりがいも刺激もない、何だか自分を生かせていないような無難な就職先を選択しましたが、今振り返ると、この「避ける」という判断が、長く生き延びるために最適な戦略でした。
【後遺症】美容や見た目より、体力・健康を優先する・意図的に体重を増やす
30代になると、価値観が少しずつ変わっていきました。
それまでどこかで、「痩せていること」が美容を考える上で大事でした。
しかし、年齢が経過すると往年の蓄積か、精神病の薬の蓄積か、身体の不調がどんどん増えていく気がしました。
そのために 健康>美容 という感覚になっていきました。
30代の頭で、体力は不足しており、一日起きていられないくらいに体力低下を起こしたため、回復のために体重を増やしました。
この考え方は急に変わったわけではなく、長い時間の中で少しずつ身についていったものです。
摂食障害の回復は「治った瞬間」があるわけではありません。
しかし、回復のために5キロ以上意図的に太ったことで、体が今までより動くようになり価値観が変わりました。一つの区切りを感じました。
まとめ 回復の分岐点の共通点
それは「諦めること」
振り返ると、回復の分岐点には
共通点があります。
それは、
諦めること
でした。
- 親に大事にされることを諦める
- 病院が守ってくれることを諦める
- 病気前のポジションを諦める
- 完全な回復を諦める
- 痩せて綺麗でいることを諦める
そして、未熟なまま社会に出ることを受け入れる。
これは決して前向きな出来事ではありません。
それでも、憧れや希望を手放したとき、現実の人生のスタート地点から動き始める。
そういうこともあるのだと思います。
私も最初からできたわけではありません。諦めるには痛みが伴います。
- 少しずつ諦めて
- 少しずつ現実を受け入れて
- 少しずつ生活を作り直していく
今の自分があるのは、劇的な出来事ではなく小さな諦めの積み重ねだったように思います。

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