- 23-27歳転職を繰り返す、常に消えたい=適応障害?
最初の会社 販売9か月、次の会社派遣で経理3か月・・・と点々とするうちに、知人から声がかかり営業事務の正社員になる。
・縁故就職で2.5年ほど働くが非常に苦しく、条件が良くても続かないことを実感した。
再発:24歳ころから適応障害と診断され、睡眠薬、精神安定剤の服用を始めながらなんとか1人暮らしで生計を保つ
奨学金:母の仕事が奇跡的にうまくいき、弟の協力もあり高校大学の奨学金返済を肩代わりしてもらえる。
外的状態
業務上の大きな問題はなかった
昇給もあった
周囲からは「良い会社」と評価されていた内的葛藤:
どこの会社でも、会社に追い詰められていたわけではない。ただ自分がどこでも窒息していた。
「私はここにいるべきではない」という感覚
「今すぐ立ち去りたい」と思う
「早く解雇されないか」と考える - 10年後【言語化期】カウンセリングによる過去の再定義
就職に関しては、自分の意志を中心に置いていなかった事が、葛藤につながるのではないか?
周りの「それがいいよ」という声に引っ張られていた。
自分の気持ちは後回しになっていた。
「こうあるべき」に沿って決めていた。
・派遣の「終わり」がある働き方が楽に感じた。
・輸出業を覚え始め、だれにも期待されない働き方に余白と自由を感じ、継続できた。→誰にも見られていない世界が楽?
・30歳ごろ、解離を体験する。
- 20年後現在のメタ認知 AIの壁打ちなど
働き方の分類ができるようになったような。
①即、自分のメンタルがやられる業界など→大学生の時に感じたもの
②長期的に見て違和感を感じ窒息する働き方など→世間の人はどうやって付き合っているのかなども考える。受け止め方の違い?
輸出業の講師をすることで、育ちと感性の違いに興味を持つ。わたしは監視されると息が詰まるが、それを「保護されてる」と捉える人がいたり、私にとっては輸出=自由=気楽だが、全く未知の世界で放り出される事が自由でなく、怖い、と捉える人が世間に多いことに気づく。
トラウマ記憶の活性化と乖離体験
初めての解離 トリガー=虐待関連の書籍
虐待を理解しようと、30歳ごろに、その時に流行っていた「毒親」関係の本を読むが、読んだ夜から、頭の中で「もう一人の自分」が喋り続けた。止めようとしても止まらない。疲れているのに三日間眠れなかった。
週明けに受診すると、医師は「神経が興奮している状態」と言い、鎮静の注射を打った。
あれは壊れたのではなく、長く封じていた記憶が一気に開いたことで、神経系が過剰に反応したのだと思う。解離というより、トラウマに触れた神経のオーバーヒートだったのかもしれない。
病院の言葉に救われる
解離の頃、この病院に通う事は、自分にとって最適であった。
「仮病で名古屋大学には入院できないよ」という言葉にまず安心した。今まで、親から言われた「仮病」の疑いや、社会での挫折など、罪悪感などが少し払拭された。
カウンセリングも併設されていたので診療後に行った。
この回復日記の10年後はおおよそこの時間で言われた事などである。カウンセラーとの相性は分からないが、あまり虐待の事実や確信に触れる事はなく、私が夢にうなされる事が多かったので夢の解析などを中心に行った。


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